自家製堆肥だからといって良いものだとは限らない。
最近、立て続けに「自家製堆肥を使っているか??」というような質問を受けました。
「有機農業」を考える上で、堆肥を自分で作っているかどうかを重要視する人は多いものです。
有機農業の定義上、「自家製」を意識することは自然な流れでもあります。
合成した肥料や農薬の使用を避けつつ,外部からの投入資材の使用を最小にすることを基本とする。
しかし、自家製の堆肥や肥料だからといって、一般的な環境汚染につながらないと言い切れるものでもありません。
堆肥や有機肥料は極めてコントロールが難しいものですから、野菜の診断基準を大きく超える養分を集積させてしまっている有機圃場も少なくありません。
つまり、自家製堆肥であろうが自家製肥料であろうが、「自家製」であることが環境に良いということを保証するものではないということです。
地産地消やフードマイレージ的な文脈で、自家製堆肥の環境貢献性を謳う人は多く、その中には、自ら肥料を作ることを推奨する人もいます。この視点で見ても、同じように環境善を保証するものではありません。
ただでさえ扱いづらい有機物を堆積させて、質も安定感も高い肥料や堆肥を個人個人で作るのはなかなか大変なことです。
インフラや技術が整っている所でまとめて作った方がエネルギー効率も良いことでしょう。
また、自家製有機肥料を作るための材料確保を輸送に頼ることを前提としたり、あちこち動き回って手配している人も多いものです。(エネルギー効率を考えるのであれば、これは矛盾でしかありません)
マット・リドレーの著書『人類とイノベーション:世界は「自由」と「失敗」で進化する』の中で
「集約農業のほうが有機農業や粗放農業より、使用する土地が少ないだけでなく、出す汚染物質が少なく、消費する水も少ないという結論が出ている」
と書かれていますが、今回の自家製肥料の話もこの話に近いような所があるような気がしています。
「自家製や天然物だからといって、必ずしも賞賛されるものではない」ということに考えを巡らせるのはとても大切なことだと思います。
その上で、僕は自家製有機肥料を好きで作っています。ですので、自家製堆肥を作ること自体を否定したい訳ではありません。
むしろ、僕はそういうものが好きでたまらないタイプの人間です。
言いたかったことをまとめます。
自家製肥料だからといって特別優れている訳ではない。
ということと、
堆肥や肥料なんていうものは、わざわざ皆が自分で作ることを推奨するものでもないだろう
と思っているということです。
こういうものは、その行為が楽しいと思える人、やりたい人、まとめて質の高いものを効率よく作れる人がやるだけで十分だと思います。
うちは、やっていることの特性上、「自家製堆肥を作ることが農業問題や環境問題に貢献する」というような人に共感を求められることも多いですが、そもそものスタンスが違います。
先述の通り、むしろ、その行為そのものを社会全体の良いものとして考えすぎない方がよいと思っていますので、それを正直にお伝えするようにしています。
有機農業は、自然の仕組みや身近な資源を利用して、その恵みを享受する営みです。僕はそこに楽しさややりがいを感じているからその手法を選択しています。
※からし菜も今週から出始めます。葉野菜が増えてきて嬉しいです。