承認欲求との距離を適当にとることも承認されることと同じように大切
自分の思いが伝わり、他者に面白がってもらえたり、一緒に喜んでもらえたりすると、それだけで救われたような気になって、「あぁ、色々不安だったけれど、自分はこの道を選んでよかったなぁ」、とか、「あの時の選択は間違えていなかったんだなぁ」、などという感情を覚えることは多いものです。
私はつまずいてばかりの人生ですが、誰かが私のやっていることを面白がってくれたり興味を持ってくれたりすることがそれなりにあるお陰もあって、つまずいても大きく転倒しないでいられているような気がします。
自分自身に価値があるという感覚を他者との関係性の中で持てることは、つまずいた時に体を支えてくれる速筋がバランスをとってくれることと似たような所があります。
承認されることや自尊心が高められることが人間にとって大切であるということは、ホネットの承認論、ロールズの正義論、その他にも多くの所で述べられていますが、自身の肌感的にも、「確かに」と思うような場面は多いです。
人の心の根源的な原理のようなものなのでしょうか。
作物が上手く育てられないことがあったり、お客さんがドドっとやめてしまうことがあったり、妻と喧嘩して落ち込んでしまうことがあったり、日々楽しいことばかりではありませんが、自分を頼ってきてくれたり、同じことを一緒に喜んでくれたりする人がいるから嫌なことも吹き飛びますし、冒頭で述べたような感情も湧き上がります。
数年前にうちで農業研修をして独立就農した夫妻が昨日うちにやってきて、あれこれ話をしていたらそのような感情を覚えました。
お二人の営農生活、順調そうで何よりでした。
自分の就農時より格段に上手にやっているから凄いなーと関心するばかりです。
※人は適当に承認されることが大切であるというようなことを書きましたが、その一方で、他人の目を意識しすぎて、他者との関係性の中で承認されることが目的化されすぎると、
「おれはこんなにいいことやっているのに、なんで分かってくれないんだ!!」
みたいな承認不全からの暴力的な言動や他者への押し付けに陥ってしまう可能性が高まりますから、承認欲求との距離を適当にとることも承認されることと同じように大切だと思っています。