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思ったことをはっきり伝えたり、意思を強く示したりすることにより生み出される喜びと悲しみについて考える



最近あった、とある飲食店での出来事です。


料理が気にくわなかったからなのか、いつもと味が違ったからなのか、詳しい事情は分かりませんが、ある1人のお客さんが店員を呼び出し、出された料理に対して不満を言っていました。


また、「食べてみれば分かるから」というようなことを言い、出された料理を店員に食べてもらっていました。


店員は困った様子で「いつもの味と同じで問題はない」というようなことを伝えるも、納得はしてもらえなかった様子でした。


お客さんがそう要求していたのか、お店側がそう提案したのかはよく分かりませんでしたが、結局、お店側が違う料理を出し直していました。


こういう場面に出くわすと、一体どんな関係性なのかとあれこれ想像してしまいます。

関係者?


常連さんの愛のムチ?


味に厳しい美食家がやってきた?


と、それは置いておいて、こういうのって、お店の人や料理人からしたらどういう気持ちなのでしょうか??


もちろん、関係性や立場によって様々でしょうが、対お客さんであった場合、グッドフィーリングで受け止ることはなかなか難しいように思えます。


しかし、少し視点を変えて考えてみると、料理やサービスへの直接的な不満が、お店や料理人に対しての前向きなメッセージになることもあるかもしれません。


また、それを力に変換し、料理や顧客対応のクオリティーを上げることに燃えるお店や料理人も存在するかもしれません。


面と向かって言いづらいことをはっきり言ってくれる人は限られていますから、その意見を重要な情報として受け取る人はそれなりにいるようにも思います。


妻にこの話しをしたら、最近見ている恋愛リアリティードラマのワンシーンで「気持ちがないんだったら、そこははっきり言わないと、相手に期待させちゃうからだめよ」というようなことを言っているシーンがあったらしく、そのシーンの話をしていました(笑)


「人を傷つけてしまう可能性があったとしても、はっきりと意思表示をした方が良いケースは多いよね。」ということのようです。


貧困や強制的干渉から解放され、非物質的なものや生死に直接関係ないことに豊かさを求めるようになった文化圏の中で、思ったことをはっきり伝えたり、意思を強く示したりすることにより生み出される喜びと悲しみについて考えています。


※秋野菜、今年は気候や虫の影響で生育がめちゃくちゃ遅れてます。白菜の中心がようやく立ち上がり始めました。早くこいこい~。




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■人の力と少しの道具で成り立つ、シンプル&ミニマムな農業をモットーに、農園を営んでおります。

当Blogの主な内容は、「久保寺農園の少量多品目野菜栽培記」や「生業としての不耕起、浅耕起型農業の実践記 & その栽培方法と考え方」になります。
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