個性的な人間でならなければいけないという強迫観念
農業の中でも個の時代とか個性的にならないと生き残れない、みたいな話しを聞くことはよくあるものです。
個性的な人間でならなければいけないという強迫観念に駆られた人が本当の意味での個性を獲得できるのだろうか??
そんなことをよく思います。
というより、そもそも個性は獲得を目指すものなのか?
その到達点は一体どこなのか?
色々な感情がわきあがってきます。
僕の考える個性は「その人がその人らしく生きていること」でしかありません。
目指すというよりも、自然に整えられるものだと思っています。
そのようなことから、競争原理の中で人と違うことをやらないと目立てない、勝てないという差別化戦略的な意味での個性が本当に美しい個性なのかどうかが僕にはよく分かりません。
人の生きる社会は、経済、知識、人気、欲望、肉体など、あらゆる場所で競争原理が働いているように思います。
多くのものが差異化の絶え間ない過程において交換価値として生産されているような超消費社会です。
競争は良いものを沢山生み出すので必要だとは思いますが、多くの価値が競争や相対を前提として設定されることに窮屈さを感じている人も少なくないように思います。
競争に勝てなかったらどうしよう??
個性を承認してもらえなかったらどうしよう??
皆と比べて将来うまくいかなかったらどうしよう??
こういうことは考えだすとキリがありません。
そもそも未来なんて狙ったように変化し続けることはないものです。
より良い未来を想像して戦略的に考えることも大切なことだとは思いますが、いつでも自分らしく構えられていることと、日々を笑っていられることの方が遥かに大切なように思います。
戦略としての個性の話を人から聞いて、そんなことを感じた、というお話でした。
「未来なんて存在しないかもしれないのよ。次の現在が来て、その後すぐに次の現在が来て、とその連続で、未来なんて、いつになってもやってこない。だとしたら、不安を待つ必要もない」
(多和田葉子「太陽諸島」より)
※今年初育苗もの、どんどこ発芽が始まっています。