不耕起栽培の最大のメリットは生物の増加による栽培環境の安定
早春播きのレタスやキャベツ、順調に発芽が始まっています。
うちは夏野菜の育苗を遅めに設定していますので、今時期に発芽させる葉もの類はビニールトンネル1枚だけで管理しています。
温床や電熱マットを使用しないことから、定植は少し遅め(3月中旬以降)になりますが、寒い時期に無理して急ぎ植えするのはあまり好きではないので、うちの畑サイクル的にはこのくらいがちょうど良いスケジュールです。
僕はせっかちな方で、それが元になって全体のバランスを見失ってしまうことが多いので、「旅路と結果は急がないに限る」ということを多くの場面で結構大切にしています。
さて、今日の記事は、僕の最近の農業感のことを書こうと思います。
この話は、冒頭の内容にも繋がる部分がありますので、まず最初に「なぜ夏野菜の育苗を遅めに設定しているのか?」 と、「なぜ寒い時期に無理して急ぎ植えするのが好きではないのか?」という、冒頭文章についての説明から簡単にしようと思います。
あげ出せば色々と細かい理由はあるのですが、理由はとてもシンプルなもので「定植や育苗はできるだけ簡易なシステムと方法にしたい」というのが一番の理由になります。
これは、就農当初から変わらない農業感の中の一つ「あまり道具を使わずにシンプルかつ低エネルギーで完結できるのであればそれに越したことはない」という気持ちからのものです。
また、早く採るために季節を大きくずらして作付けしたり、色々な道具や資材をふんだんに駆使していくような農業をやりたいとは思わないということと、自分自身が「作ろうとしすぎる農業」のようなものに大して魅せられていないという理由もあります。
「作ろうとしすぎる農業」を芸術作品で例えるならば、「こういうものを作ろうう!!」と、作るものをしっかりと決めてから作りだす作品のようなイメージです。
農業で言えば、「自然をなるべく支配して、狙った物を狙い通りのスケジュールで揃えて作る」みたいなことです。
これは農業経営を軸にして考えれば極当たり前のことですし、僕自身、それをいけないことだと思っている訳ではありません。(むしろ人類にとっては良いことも多いだろうと思います。)
ただ、自分の場合は、「別にそういうことがしたくて農業をやっている訳ではない」というお話です。
では、僕がどういう農業をしたいのか??
それは「作ろうとしすぎる農業」とは対極の「作られていくような農業」になります。
「作られていくような農業」も同じく芸術作品で例えると、その時その時の変化の中で感じたものをフルに感覚を開いて受け取り、そこから想像を膨らませていった先にアクションの内容が決まり、その結果自然と出来上がった作品のようなものです。
「どんな野菜がどんなペースでできてくるかは、その時の土壌状態や自然循環の中で生まれたエネルギーや生物のバランスが大枠を決めていくことで、人はなるべく支配欲を働かせないように努め、余計なことはなるべくしない」というようなことです。
お化粧しすぎていないというか、作られすぎていない、素朴な自然感を大切にしたいということですね。
現代美術家、ジェームス・タレルの作品、通称「タレルの部屋」のような、空の表情が変わると共に作品の表情も変化していくようなイメージとでもいうのでしょうか、「自然の仕組みの圧倒的な美しさを感じながら、その自然循環の中で生まれたエネルギーの力を無駄なく活かせるように努力し、その時々で作られていく野菜それぞれのスタイルを受け入れ、尊重していく」というような野菜栽培ができたら理想的だなと思っています。
音楽や舞台で言うならば、「インプロによって演奏者や演技者自身が、普段ではたどり着けない領域を味わえる」というようなものとも似ているかもしれませんね。
どうでしょうか??
僕のイメージしている「作ろうとしすぎる農業」と「作られていくような農業」、という農業感、なんとなくご理解いただけましたでしょうか??
それが実際にどんな農業なのかと言えば「自然農的なアプローチ方法と生産型の有機農業の利点をうまく融合させながら、農業経営的にも問題なく成り立つモデル」みたいなものを理想としているということです。
■理想に近づく為の不耕起栽培というアプローチ。
僕は上記のような理想を具体化するための方法として機械耕耘不要の不耕起型の栽培方法を取り入れていますが、いくら機械による効率化をしていないからといっても、生産性完全度外視の農業がやりたい訳ではなく、あくまでも、現代社会の経済システムの中でも「家族がちゃんと食べていける農業」を目指しています。
ですので、耕さないことは目的ではありませんし、必要があれば土を動かします。
「なるべく土を動かさないことによるメリット」を考えながら進んでいきたいということです。
「土をなるべく動かさない」というような話をすると、「現実問題、そんなの難しいでしょう??」というようなことを言われることも多いのですが、個人的にはそんなこともないと思いますし、機械不要の不耕起栽培って、栽培面でみても実は利点も結構多いと思っています。
ざっくりとではありますが、利点の一例を簡単に図式化しますね(下記参照)
図にもある通り、僕の思う不耕起型農業の最大のメリットって、「生物多様性が育まれることにより、野菜が育てやすくなる環境が育まれること」なのだろうと思っていて、それは長期的にみて、「持続性の高い生産力のようなものを生み出すために効果的なポイントも多い」と個人的には考えています。
また、「腐植が炭素を固定してくれる可能性がある」とか、「土壌の劣化を防ぐことができる可能性がある」など、環境インパクトを減らし、人類の未来貢献度を高めてくれる可能性も高いと考えられているアクションに繋がることも多いと思いますし、そういった側面からみても追求しがいのある生産方法だとも思っていますので、農業という枠組みだけでは捉えられない、魅力と可能性に溢れたアプローチ方法でもあるだろうと考えています。
■終わりに
自然環境が作る農産物育成環境を大切に考えることは、上記の「作られていくような農業」を表現するにあたっての最適なアプローチ方法だと個人的には考えます。
「規模を大きくする」とか、「機械化して効率をあげる」という農業アプローチも人類の未来にとって大切なことだとは思いますが、僕の場合はそれよりも「いかに小さくまとめられるか」とか、「できるだけ人にも野菜にも丁寧に向き合える規模感で」とか、「生物性を活かしながら持続性の高い畑のデザインを考える」などなど、大生産を目指すという道とは対極にある農業道の可能性を追求しながら、自分のしっくりくる形の農ライフを考え続けていきたいなと思います。
このあたりは、web内スタイルページ の「なぜその方法を選ぶのか??」に書いてあることと同じですね。
これは僕の小さな経験則と未熟な考察からの話でしかありませんので、参考程度にお聞きいただければと思いますが、機械を使って耕耘などをせずとも、それなりの生産性を確保し、生活が成り立つ農業は可能だろうと思います。
もちろん、何を生産したいかによっても変わってくるものでしょうし、規模や求めているもの、やり方そのものによっても結果は大きく違ってくることから、必ずしも誰にでも当てはまるものでないとは思いますが、目安をあげるのであれば、現時点(2021年)での給与所得者全体の年収中央値くらいのレベルであれば普通に稼げる農業でもあると思います。
僕なんかはビジネスがあまり得意ではありませんから、やり方のうまい人であれば、もっと上を目指すことも全然可能なのではないかと思います。
生産することのできる量がどうしても少なくなってしまいますので、「農業でめちゃめちゃ稼ぎたい」というような人には向かない方法であるとは思いますが…。
ただ、上記のとおり、個人的な思いとしては、環境貢献性の向上や生物多様性の維持など、農業以外の面で見ても、「未来の豊かさとは??」についてのヒントを与えてくれるアプローチ方法の一つでもあると思いますので、既存の価値体系や金銭感覚ベースでは計りきれない魅力がギュッと詰まっている農業のスタイルだと僕は感じています。