ヨトウガを超音波で追い払うテクノロジーの話と灰野敬二とワイヤレスイヤホンの身体性
今日の作業中に研修生と、「特殊スピーカーを用いてヨトウガを超音波で追い払う」という新テクノロジーの話になりました。
今日の研修生は、音楽とストリートカルチャーの話ができる方でしたので、「音」というキーワードから、何だか面白い方角に話が進みました。
その新技術は、導入費用がそれなりに高額であることから、同じようなものをスマホやポータブルスピーカーや小型シンセなどを用いてもっと簡単に再現できないものか?というような話になり、その流れでサンプリングの話に発展し、そのままブレイクダンスの話に突入し、ついには音楽の未来と著作権の問題を考え出し、そのまま色々とぐちゃぐちゃと更に話がこねられ、結局最後は、灰野敬二さんのノイズとワイヤレスイヤホンの身体性の話に着地。
会話ってこういう謎の展開が多いから本当に面白いです(笑)
と、そのようなきっかけもあり、先ほど、超久しぶりに灰野敬二さんの過去のインタビュー記事を読み返していたのですが、その中で
「結局表現は、もともと自分にあったものをどうやって自分で表に引き出すか、ということだと思います。だから何かすでに外 にあるものや外部の物に依存したりすることは自分から逃げているとしか言えないし、それじゃ表現なんてできないですよ。」
というコメントと出会い、現代社会にもささる内容だな~と思いました。
なぜならば、「デジタルディバイド」や「SNS疲れ」というような現代的な現象など、高度化された世の中が生み出している人の社会の「歪み」や「ズレ」に対し、ネガティブ視する層もそれなりにいる中で、自己表現の手法によってはそれらを明るく捉えることも可能かもよ?とも思えるからです。
人と比較しすぎない、忖度しすぎない、空気を読みすぎない、といったようなこともとても大切かもしれません。
また、「ドキュメント灰野敬二」の「人間という記号を捨てて魂という暗号になれ」という言葉にも今っぽさがあるなと。
それは、言葉だけが上滑りして記号的になっていることが社会にはとても多く、そういうものに何とも言えない違和感を覚えることも多いからです。
農業でいうなら「有機」とかかもしれませんし、環境でいうならば「脱炭素」とか「SDGs」みたいなものかもしれません。
さて、こういう話は終わりが全然見えないことから、いつまでも書き続けてしまいそうですので、この辺りで急に話を野菜に戻して強制終了しようと思います(笑)
今年も人参がよくとれそうです。
今から楽しみで仕方がありません。