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2021年始め



新年明けましておめでとうございます。


年始めは様々な方の豊富や未来展望を聞かせてもらう機会の多い時期ということもあり、心地良い刺激に包まれている今日この頃です。


「先のことは分からないし、特にそれといった目標もないから、とりあえず今何をするかにつきるでしょ」というような考えを持っている人もいれば、「具体的な目標があって、それを達成するために努力する一年でありたい」という人もいたり、「あっ、何も考えていなかった(笑)」なんて人も(笑)


色々な考えに触れれば触れるほど、「人は人それぞれである」ということへの理解が深まり、なんだかこちらまで愉快な気持ちになってきます。


確かに、不安定で変動幅の大きい時代だからこそ、「今日、明日をどう生きるか??」ということだけに焦点を当てて日々を過ごすこともそれはそれで良いことも多そうです。


解放感というか、自由度の高さというか、そういうものが持つ魅力的な面があるのも分かりますし。

また、今はコロナみたいなものもあるので、それも含めて、先のことなんて考えてる場合じゃないという気持ちの人もいるかもしれません。



ただ、僕はどちらかというと、「なりたい自分の姿」を先に想像することの方が、「今何をするか」を先に想像することよりも、ずっと大切なことだと思っています。それがどんな場面であったとしても。


つまり、いつでも何らかの目標や希望があった方が良いと思っているということです。


なぜそう思うのかというと、僕は、約10年前に掲げた目標(自分の美意識に反しない農業で食べていけるようになりたい)が、あったことにより、農生活の中での「今何をするか??したいか??」がほとんどの場面で明確であったことは間違いなく、それによって「厳しい状況でも、目標に向かって前に進むこと自体が苦になることはほとんどなかった」と感じていた経験からそう思います。


また、衝動的で直感的な「今はこれをしよう」によって生まれる行動からは、後に残るものが少ないように思いますし、結果的にただ時間だけが過ぎてゆく……、ということになってしまう可能性が高い傾向にあると思うからです。(僕の場合)


とはいえ、こういうものには個人差がありますし、時の運やヒラメキがあったりもするので一概には言えませんが。


で、結局何が言いたかったのかを整理すると、新年、沢山の方の豊富や考えを見聞きし、多くの刺激を受けている内に、目標を設定することの意味について考えたり自分の過去を振り返ったりしていった結果、「目標や理想をある程度具体的に設定し、それに向かっていくことって、自分の人生をより快適にする上でも大切なものだろう」という感情を改めて覚えたということです。


目標は決して持たなきゃいけないというものではないと思いますが、持つと世の中がよりカラフルに見えるような気がしています。


で、僕の今年の数字が決まっている目標は、年間ランニング距離1000キロ増し、と、読書量2倍です。

(農業あんまり関係ないかと思いきや、これらを達成するためのタイムマネジメントとの部分で、より時間をうまく使った農園運営につながる??…はずです(笑))


本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




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■人の力と少しの道具で成り立つ、シンプル&ミニマムな農業をモットーに、農園を営んでおります。

当Blogの主な内容は、「久保寺農園の少量多品目野菜栽培記」や「生業としての不耕起、浅耕起型農業の実践記 & その栽培方法と考え方」になります。
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